更新があいてしまった。お久しぶりです。生き返りました。照
摂食障害という日常が蘇る
先日、摂食障害の個人映画を観てきました。
(事前にオンラインで観ていたので実は2回目)
元当事者の私が観た結果、簡単に体調を崩しました。
観たのはこちらの映画。
《DieAter Documentary of Ed“摂食障害》
〜振り返り〜
- 摂食障害を題材にした個人映画
- 映されるのは当事者の生の声
- 作った人は高田馬場のコーヒー屋さん
- ここから見れます
- オンライン500円!冒頭10分なら誰でも無料
ずるずると、当時の記憶に引きずり込まれる。
今までテレビのバラエティで摂食障害を観てもこれほど苦しくなることはなかったのに。むしろ、現実とのギャップに苦しくなっていたのに。でも、この映画にはその《現実》が映っていました。
ちゃんと、視聴者に、当事者に、私に、そのままの摂食障害の日常を見せてくれるもの。
元当事者の私がフラッシュバックするほどなのでそれはもう本物に違いないです。
苦しさと安心と決意
映画の感想はたくさんあるかなぁと思うので、元当事者として感じたことを書きます。
苦しさと安心。これがわたしが感じたものです。
まず、苦しさ。わたしは摂食障害を過去のものとして自分の中で、確かに、消化しました。
当時はもちろん、症状がなくなってからも病気の話をするだけで、涙が止まんない時期もありました。
でも、それを乗り越えた。わたしは、摂食障害を「過去」に出来た。その自信があった。
なのに、映像の中で話す女の子を見て感動でも同情でもない、不思議な涙がでました。
今この世にはいない、摂食障害の私に会った。そんな奇妙な感覚を持ち、苦しくなりました。数年ぶりに、あの胸のむかつきと、焦点があわない視界と、心と体が乖離する感覚に合いました。
帰り道、確かに今の私じゃない、あの頃の私が私を支配する感覚に襲われました。
でも、その苦しさと同じくらい、安心をしました。
「それでも私は再発していない。」
あの日の帰り道、息が苦しくて、焦点が合わなくて、両手の拳をぎゅっと握りながら下を向いて早歩きをした。漠然とした不安と寂しさが後ろから追いかけてくる感覚になった。
スマホを開いても、誰に連絡を取ったらいいのか。誰に助けを求めたらいいかわかんなくなった。
「あ、やばいかも。」
そう思って、コンビニに行って、もう何でもいいや、と。好きなものを買おうとしたけど、そこでちゃんと理性が働いたんです。
自分で何をカゴに入れるのか、何を食べたいのか、どれくらいの量を食べたいのか、ちゃんと自分の力でコントロールして考える事ができた。
「あ、私、治ってる。」そう、感じた瞬間でした。
毎日、当たり前にコンビニに行って、当たり前にコーヒーとお菓子を買って、当たり前にそれが至福のひとときで、
つらい事、嬉しい事、何があっても当たり前のように「美味しいもの食べにいこ!」って言えるって、
あ、私すんごい幸せな事やってる。そう思いました。
摂食障害が確かに過去。でも、私の中にあり続けるもの。
あの夜の出来事は私にとってとてもショックな出来事でした。数日経った今でも実はちょっと引きずっている。でも、ちゃんと捨てずに、大事にしよう。
ふじもとさん、まなつーさん、
小林さん、なおよさん、ありがとうございました🌸
竹口 和香