わたしたちはなぜ休むことがこんなにも苦手なのか。
休むことが怖くてしかたない
「予定のない時間が怖い」わたしを含め、摂食障害である多くの方がそう言葉にする。怖くて怖くて、休めない。
これだけ心が叫んでいるのに、これだけ体がボロボロなのに、何もない時間が、休む時間が、怖くてしょうがないのだ。奇妙な現象である。
休んでこそ今日に終止符を打つことができる。休んでこそ今日の自分に「お疲れ様」と言える。何もない時間をつくりわたしを休ませる時間は、明日を生きるための時間なはずなのに。
それが怖くて仕方ないのだ。
摂食障害に襲われるトキ
何もない時間を過ごすと、決まって摂食障害の自分が現れた。
手持ち無沙汰な時間
何も予定がない時間
一人ぼっちの時間
休まる前に、無限の寂しさや虚しさに襲われるのだ。無限なのだ。ずっとずっとわたしを追いかけてくるのだ。
何もない時間は、安らぎではなく孤独しかなかった。
自分の身だけでこの1分1秒をすごすことができない。
何かがほしくて、何かで埋めたくて、いてもたってもいられなくなるのだ。「食べる」ことしか考えられなくなる。「食べる」という一瞬の快楽を本能で求めるようになる。そのあとの地獄への恐怖とともに「食べる」への本能的な欲求がわたしを襲う。
意味のわからない恐怖心が私を支配し始めるんだ。
これを止める術は過食以外に存在ない。
それが怖くて「何もない時間」が怖かった。
何もない時間をひとりで過ごすほど、わたしは強くなかったのだ。
ダメな私は休んだらダメ
それと同時に、価値のないダメなわたしは、自分を休ませることを許せなかった。
休むことは頑張った人がやること。
でも、私は何も頑張れてない。
食べることすらちゃんとできない。
何もできない。何もできない。私は何もできない。
そんなやつが休めるわけがない。
何もしないと、どんどん自分の価値がなくなる気がした。何か予定を詰めないと、何か知識を詰めないと、何かで私を埋めないと・・・そうでもしないと、自分がどんどんダメになっていく気がした。
休むことが自然の行為だと思えなかった。休むことは怠けだと思っていた。
休めない。私はもっと頑張らなきゃいけない。切れそうな一本の糸で毎日を生きていた。
命を削る、その先
毎日自分を、命を削って生きていた。そうでもなきゃ、不安で怖くて仕方なかった。
自分が摂食障害に乗っ取られて、どんどん価値のない人間になる事が、怖かった。
本当は心も体もこれ以上動けなかった。
本当は笑顔を作るのも必死だった。
本当は泣いて叫びたかった。
本当は「助けて」って言いたかった。
でもそんな自分を許せなかった。
だから自分を押し殺して、頑張って、一日を生き抜いた。
今になって、あの日の自分を抱きしめてこう言いたい。
「今日もよく生きたね。本当に頑張ったね。わたしと一緒に休もう。」
竹口 和香