「自分らしく生きる」が疲れたのでやめた

 

先生、自分らしくってなんですか。

 

流行語大賞「自分らしく」について

 

最近やたらと耳にする「自分らしく生きる」について考えていた。 

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本屋さんで”ソレ系”の特別コーナーを目にすることが増えた。今年は、自分らしく生きられない人や、生きづらい世の中の話を耳にタコができるほど聞いた気がする。

その類の本が店頭に追加されるたびに手にとってしまうわたしもまた、類に漏れず”自分らしく生きられていない”と感じているんだろう。

 

”自分らしく”

 

自分らしいって何ぞや考えたときに、ふと自分の好きや得意を書き出したくなった。自分らしい人生はキラキラしたもので、今の息苦しさから解放される生活のように感じた。自分らしくあれば今ここから抜け出してストレスフリーに生きられる気になった。

 

自分らしい人生ってどんな感じだろう。わたしは何をしたら自分らしくいられるんだろう。この息苦しさから解放される生活ってどんな生活だろう。

 

自分らしくへの違和感

そんな妄想を繰り広げながら”自分らしく”を考え続けていたら気が重くなっていた。

 

この気の重さの正体はなんだ。自分らしい生活は、息苦しさから解放された理想の生活なのになんでだ。気のせいだと思い過ごそうとしたけど、やっぱりそこには違和感が残った。

 

しばらく時が経ち、ふと違和感の正体と顔を合わせることになる。

 

”自分らしく”には、自分では"らしくなさ”にカテゴライズしたいと願う嗜癖や汚さが含まれていなかったのだ。誰かを羨んだり妬んだり、時には他人のことを憎いとすら思うわたしは、”自分らしさ”に含むことができなかった。

 

きっと、そんなわたしも含めて自分らしさだと肯定できたら済む話だろう。だけど「自分らしい生き方をしよう」なんて本を手にとる時点で、自分への理想像ははるか空の上なので不可能なのだ。

 

"自分らしく"、それは今のわたしにとって自分の綺麗な部分だけを拾いあげた幻想だったようだ。

 

それと同時に、今を否定して何かを変えなきゃいけないという焦燥感に駆られる言葉でもあった。「自分らしく生きよう」の裏には、「今は自分らしくないですよ」という意味が込められていた。

 

ますますわたし自身が何に定義付けられてるかわからなくて混乱した。自分らしくってなんですか。

 

 

”自分らしく生きる”と”このままで生きる”

 

”自分らしく生きる”

”このままで生きる”

 

なんだか似た響きだけど、わたしには全く別の音色に聴こえる。わたしは自分らしく生きるより、このままで生きたいのかもしれない。

 

自分の綺麗な部分にスポットライトを当てて生きるより、凸凹してていいから今のままの自分で生きとけば〜って思いながら過ごすほうがラクになった。

 

そう、ラクに生きたいんだ。

 

こんなこと言ったら怠け者だと思われるのかな。ラクに生きる奴はダメだなんて言われるかな。おそらく実際言われたことがないので、これは自分の声のブーメランなのだと思う。

 

一生懸命、ラクに生きたらいい。一生懸命自分がラクに生きて、それでもやりたくなったことを少しずつ頑張ったらいいんじゃないの。自分らしさを作ることで自分を埋めるより、自分の足で”今”に足つけてから未来を見たらいいんじゃないの。

 

凸凹がツルピカに見せようとするから息苦しいのだ。凸凹をヤスリで磨こうとするから血が滲んで痛むんだ。

 

「やば、今日まじ生きてるわ」って日もあるし、「おわった死にたい消えたい」って日もある。イライラするほど晴れる日も、ざーざーに雨が降って雷が直撃する日もある。

 

自分で変えられるもんなんて大して多くないのだから、一生懸命このままラクに生きていいんだよ。こんなこと考えてる時点で超一生懸命じゃん、自分の人生。

 

 

ーーこれは、「自分らしく生きる」がしんどくなったわたしと誰かへの手紙。

 

 

竹口 和香