ことばを吐く

摂食障害の知識と心の言語化を届けたい

【過食体験記】私の365日は過食嘔吐に殺された

 

わたしの「過食症ピーク時の症状・体調」について。

 

  

「そのへんにいる女子大生」だった

わたしの過食症ピークは大学一年生〜大学三年生。ぱっと見じゃ普通のそのへんにいる女子大生。

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入学して、資格の勉強もして、バイトして、フットサルサークに入って、時には朝までオールもしたりサロモやアンバサダーなんて派手なこともやってみた。なんら問題もなく、恵まれている充実した生活を送っていたと思う。

 

だけど、ずっとずっと誰にも言えないまま「よくわからないもう一人の自分」と闘っていた。それが過食症。過食症による罪の意識で、もっともっと自分を頑張らせて努力させて周囲にも「活動的だね」なんて言われたこともあった。

”周りから気づきにくい”は一見メリットかのように見えて実は、摂食障害の病理を、孤独を、より深めてしまう大きな要素だよなぁ。

 

 

逆らえない過食嘔吐の発作に殺される

さて本題。

 

わたしは大学入学を機に東京にやってきたのだけど、その環境の変化や文化の違い、孤独感などからいとも簡単に摂食障害を再発させることとなった。

 

入学から1ヶ月もすると、学校帰りに最寄り駅のスーパーで割引シールが貼られた惣菜を買い込むように。当時のわたしは、生きづらさや言葉にできない孤独を、食に走ることしか術を知らない。

 

最初は「なにか辛いことがあった時は過食してしまう」程度で、頻度としては週に一回あるかないか。それが、次第にペースがあがっていった。食べた時にほんの一瞬味わえる「満たされた感覚」、それがわたしを終わりない地獄へと運んでいった。

 

この頃、わたしの中には自分ではとめられない「もう一人のわたし」ができた感覚に陥った。

 

本当の地獄のはじまりはじまり

大学二年の夏はほとんど大学に行けなくなった。

 

「コンビニのビニール傘コンビニのビニール傘」のフリー写真素材を拡大

 

文系の学科なので、多少休んでも問題はないもののそれでも友人には不信感を与えていった。実際に友人も離れていき、長く付き合う友人は一人もいなかった。

 

その頃には、1日に3回の過食嘔吐をしてその衝動を自分で止められない。「もう一人のわたし」が「本当のわたし」を支配してわたしの中で暴れ狂ってた。。

 

一回の過食に使う食料は、

 

ご飯2合、ポテチ1袋、菓子パン3つ、惣菜パン3つ、ケーキ1つ。シュークリーム詰め合わせ、牛乳

 

こんな日だったり。

 

コンビニおにぎり3つ、菓子パン2つ、惣菜パン1つ、アイス1つ、スナック菓子1袋、ケーキ1つ、バームクーヘン半ホール

 

こんな日だったり。

 

 

吐いた時の胃酸で胃や食道は常に荒れ、喉が腫れて出血し、声が出なくない。唾液腺が腫れ、顔がむくみ、両手に吐きダコ。

 

そんな自分に絶望をして、また吐いた。

 

自分が摂食障害という地獄に足をつっこんだという自覚とともに、無価値で、生きてる意味もなくて死ぬのもめんどくさいから消えてなくなりたい、と思いながら毎日食べ物を詰め込んだ。もうこうやって一生死んでいくんだ。

 

吐くことだけがうまくなる一方、コンビニの店員さんがわたしを見て嘲笑ってるように見えた。たまに行く大学ではいつも視線で背中が痛い。

 

食べて吐くことの代償

 厳しいダイエットの末、13kg落としたけど、気づけば20kgのリバウンド。

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また胃腸は完全に腐れてしまい、毎日三回薬の服用がないと生きてけない。

下剤は一度に10錠以上を飲まなきゃ便が出ない。わたしはおばあちゃんになってこの下剤の痛みでショック死するんじゃないかと本気で思った。

それくらい、摂食障害が治る希望は更々ない。

  

過食嘔吐に苦しんだ時期は4年くらい。当日、わたしが摂食障害であることを知っていた方はほとんどいなかった。

 

(もしかしたら、今ブログをお読みいただいている方も周りには公表せず、日々お仕事や学校に通われている方も多いんじゃないかな)

 

ざっくりとなりますが、これが私の一連の経験です。

 

通院なしで治ったきっかけ、当時の心情や外部環境に関しては、後日詳しくまとめさせていただきます。

 

ご質問があればお気軽にご連絡ください!

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

竹口和香