摂食障害じゃなくいっそのこと癌にしてくれ

 

とっても、とっても不謹慎だけど、ずっとずっとこう思ってた。

 

わかりやすい難病になれば、家族も、友達も、世間もみんな、「つらいよね」「かわいそうだね」って言ってくれたのかな。

 

そうしたら、「つらいよ」「苦しいよ」ってもっと大きな声で、泣き叫べたのかな。こんなこと思ってしまう自分も、また惨めで、どうしようもなくて、大嫌いだった。

 

自分がこの世で一番不幸だと、本気で思っていた。 

 

摂食障害は理解されないという確信

 

摂食障害を持つわたしが、「甘え」や「意思の問題」や「気持ち悪い」という言葉で片付けられることは、容易に確信をしてしまった。今思えば自分が自分に対して1番思っていたことで、他人に実際言われた数はごくわずかだった。

 

でも、自分で自分を恥じていたからこそ他人からの目を恐れていたのだ。

 

当時付き合っていた彼氏とテレビを見ていると、そこに映ったのは、摂食障害を取り上げたバラエティ番組。画面には、無意識に、寝ている間に冷蔵庫をあさって大量のものを食べてしまうという女の子の姿。睡眠時摂食障害だ。

 

わたしにその症状はないものの、過食嘔吐が止まらない私と、何かがかぶった。胸が苦しくなった。 聞いてもいいことないと頭では分かってはずなのに、そこで、わたしは聞いてしまった。

 

「わたしがこの病気になったらどうする?」 

 

なんで聞いたんだろう。いい答えなんて返ってこないのは分かってる。世間の声を代弁してくれる。ただそれで終わりなのに。

 

なんで聞いた。

なんで。なんで。なんで。なんで。

 

「あーー無理かも。怖くて家出て行くわ。笑」

  

いや、何を傷ついてんだ。何を期待してんだ。何を自分から地雷に足を突っ込んだんだ。答えなんて分かってたよ。

 

わたしだって怖い。自分のことが怖い。そう、だから他人が怖くないはずなんてないんだ。わたしは更に、自分の心を叫べない環境を作ってしまった。

 

ねぇ、あなたの目の前の女の子、その”怖い”病気なんだよ。気づいたら、どこかに行ってしまうのかな?

 

世間の病気への理解=私自身への言葉

 

当時のわたしは、もう、「わたし」ではなかった。「摂食障害のわたし」だった。摂食障害なしでは自分のことを説明しようがないほど、摂食障害に支配されていた。

 

本当は理解されたくて、誰かに苦しみを叫びたかった。自分が自分のことをゴミ以下だと卑下している苦しい現実を、誰かに「そんなことないよ」って言ってほしかったのだ。

 

でもそれが、とてつもなく怖かった。打ち明けたらみんな私から離れていってしまう。わたしでさえ一緒にいたくない、摂食障害の気持ち悪いわたしから。

 

どんな病気だったら理解された?どんな病気なら、病名を伝えられた?どんな、どんな、どんな・・・・・・

 

いっそのことわたしを癌にしてくれ。

 

 

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竹口 和香