わたしには「女友達」がいなかった。

 

わたしには、女友達がいなかった。


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学校という世界で生きる術

 

ずっと「女子グループ」の居心地が悪かった。

 

クラスでもない、部活でもない、サークルでもない、学校という世界で生きていくための「グループ」

 

あの子と仲良くなれば "アンパイ" で、

あそこのグループはきっと "中の上" で、

わたしは "そんなもん" じゃ足りなくて。

 

わたしは、消しゴムと画鋲でピアスを開け

スカートを3回折りして先生に怒られる、

"上グループ" に属さないと気がすまない。

 

入学と同時にスタートダッシュを切るその戦いは、学校生活という世界のすべてを決めるものだった。

 

わたしが大きくあるために、

わたしが認められるために、

わたしが人を見下すために、

「グループ」は生きていく術なのだ。

 

そしてその「グループ」の地位こそ、

わたしの地位であり、価値なのだ。

 

 

わたしの価値を決める戦い、よーいどん。

 

 

生きていくための「友達」

 

学校は戦場のようだ。

 

常に誰かに監視されて、

常に誰かに評価されて、

常に誰かに噂される場所。

 

常に誰かを監視して、

常に誰かを評価して、

常に誰かを噂する場所。

 

誰が誰の秘密をバラしたらしいとか

誰が誰のことを気に食わないらしいとか、

あの子は彼氏ができたら友達と遊ばないとか、

あの子は他校にも名前が知れてるらしいとか。

 

常に糸一本で繋がれた命を守りながら

強い顔をして誰かの糸を切っては鼻で笑った。

そうすることでしか、自分を守れなかった。

 

「友達」の意味を調べてみると、

"同じ志を持って平等に付き合う人" とある。

 

わたしはきっと、友達がいなかった。

そしてその事実にも気づいていた。

 

ある子に「わたし友達いないんだ」と話すと

「わたしのことは友達と思わないんだね」と

次の日から話してくれなくなった。

 

友達じゃない誰かが、簡単に消えていった。

ますます「友達」が何なのかわからなくなった。

 

 

上と下が存在する女という世界

 

わたしは未だに女友達が少ない。

この年になってようやく、一対一なら女友達と対等に向き合えることに気がついた。

 

未だに「女グループ」にはアレルギー反応が出る。女の集合体には上下関係が存在するように見えるのだ。

 

そこには踏んではいけない地雷がある。その地雷は、女の数と比例するようにそこかしこに置かれるのだ。地獄としか言いようがない。

 

そして「女グループ」には役割が必要である。その役割をこなしてこそ、そこに存在してもいいという許可を得られる気がするのだ。

 

どうやって「女友達グループ」をやっているのか教えてほしいくらいだ。

 

LINEを開いても、女友達グループのLINEトークがひとつも存在しないわたしに。

 

結局は、女だろうが男だろうが男でも女でもなかろうが、わたしがわたしのまま対等に向き合いたい人であればセクシュアリティも人数も何でも良いのだけど。

 

とにかくわたしが知る女の世界は奇妙で、むごい。常に人を評価して、人に評価される世界だった。

 

その世界が、わたしの摂食障害に大きく関わったことも否めない。わたしはそうすることでしか一本の糸を繋いでいけなかったのだと思う。

 

摂食障害で守りぬいた地位や価値が「存在しない空っぽなもの」だと気づくのはまだ数年後のこと。

 

 

これを読んでくれている誰かに、ひとつでも対等に付き合える居場所がありますように。

 

竹口和香

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