今回で恋愛記事は一旦区切り〜!
わたしにとって、摂食障害であることは罪でした。理解されない苦しみと、耐え難い孤独と、手元にあるのはわたしが犯した罪。
あの日、わたしがトイレに駆け込んで食べ物を吐き出した日から「こんなダメなわたしでごめんなさい」が始まった。
自信なんてこれっぽっちもなくて、
「こんなダメな奴が子供だなんて嫌だろうな」
「こんなダメな奴が友達だなんて嫌だろうな」
「こんなダメな奴が彼女だなんて嫌だろうな」
誰と一緒にいるにもずっと自分に引け目を感じて、その溝を埋めるように相手に尽くすことで誤魔化した。摂食障害になって、どれほどの時間と、お金と、自信と、、、、自分を。失っただろう。
そんな思考の癖が、どんどんわたしの自信とわたしの未来を奪っていった。摂食障害はわたしの人格さえも変えていました。
人を愛する資格がない
新しく関係を持つことは、私の罪のせいで新たに誰かを犠牲にすることだった。
目の前のその人に不思議と安心感を抱くようになったと同時に、
「わたしがこの人を潰しちゃいけない」と強く思いました。
目の前のその人が素敵な人なのはよく分かった。誰かといて安心するという感覚も久しぶりに思い出した。
だけど、だからこそ一緒にいたくない。
今を埋めるだけの人付き合いでに慣れたわたしは、「本当の自分」で人と付き合うことを忘れてわたし自身から目をそらしていた。
誰かを大切に思うことを、わたしを大切に思うことを、とっくに忘れていた。
今更目の前のその人と、わたし自身を、愛せる自信がなかった。
「私キラキラした女じゃないよ?」「知ってるよ」
これでもかというほど、長いあいだ話をした。
本当は歌手になりたかったこと。
大学で友達が全然いなかったこと。
ちょっと変わった家族であること。
キャバクラで働いていたこと。
思ってる何百倍も心も体も弱いこと。
ここに書けないことだってある。
やっと自分の言葉で自分の話ができるようになったのに、
壁をなくし始めたのに、防御線を張りまくった。
「普通のキラキラした21歳の女の子じゃないよ」って。 「本当はこんなヤツなんだよ。逃げるなら今だよ。」って。
その人はどんな話にも否定も助言すらしなかった。「わたしは完璧じゃない」「欠陥品だよ」と話しをしても、その人はあまり気にしない様子だった。
「キラキラして見えると思うけど本当は真逆だよ」と言うと「知ってるよ」って、それだけ言った。
誰もが完璧じゃないから愛がある
未だに「付き合うメリットって何ですか?」に対する納得する言葉は分からない。
でも、多分それって言葉で言えることじゃない。
その人は言葉じゃなく、私に「本当の自分」の居場所を与えることでそれを教えてくれた。
わたしが「本当の自分」でいてもいいんだという自信をくれた。
わたしが知らないわたしのことを沢山教えてくれた。
今まで否定していたわたしの短所を長所に変換してくれた。
人ってみんな完璧じゃない。
それを教えてくれたのが、今の旦那。
きっと弱さは優しさと紙一重で、弱さがあるから人は人に優しくできる。
自分の弱さを言葉にすることで、初めて人の優しさに触れた。自分の弱さを言葉にすることで、人の弱さを知ることができた。人の弱さを知ることで、人に優しくなれた。
人間って完璧じゃなくていい。完璧じゃなくても、そこにいていいんです。完璧じゃないから人は支え合う。完璧じゃないから愛があるんです。
だれもがきっと、誰かに愛されるべき人だ。
竹口 和香