ことばを吐く

わたしが歩いた道と、見ている世界

イヤホンをせずに東京を歩けない

どうでもいいけど、未だに有線イヤホンを愛用してる。こないだ東京行きの新幹線乗る前にイヤホン買いに行ったら、置いてなくてちょっと切なくなった。

 

「Bluetoothにしないんですか?」って店員さんに聞かれたので、「スマホとイヤホンどっちも充電するとかできなくて・・」と答えたらものすごく愛想笑いされました。

イヤホンなしで東京を歩けない

そんなこんなで無事アマゾンから有線のイヤホンを調達したのだけど、わたしはイヤホンなしで東京を歩くことができない。

 

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イヤホンから流れる自分の世界が、街中に溢れる情報からわたしを守ってくれるから

機嫌の悪い車のクラクションとか、どこかへ急ぐ人のヒール音とか、すぐ隣にいるカップルの会話とか、街頭広告のカン高い声とか、そういう雑音からわたしを守ってくれる。

 

外界と自分の内側にズレがあると、その心地悪さで無意識にため息が出る。音量、リズム、テンポ、波長、それぞれがそれぞれの音色を出す自由がある街。ただその音色がわたしにとっては煩わしい。

 

なんだか急がなきゃいけない気がして、

なんだか怒られている気がして、

なんだか自分が変わらなきゃいけない気がする。

 

こんなに人で溢れているのに、自分がこの世界で一人置いて行かれた気持ちになる。

 

だからイヤホンで、自分の世界という孤独を作るのだ。

 

7年半住んだ街は煌びやかで孤独だった

 

そんなことを言いながらわたしは7年半東京に住んでいた。

 

この街は大胆で煌びやかで、寂しくて憂鬱な街だった。日本中のどこよりも速く、情報と時間が流れる。

 

そこにはいくつもの可能性や選択肢があって、瞬きをしている間に誰かのものになっていく。毎日、毎分、毎秒がめまぐるしくて美しい。

 

だから、この街で生きるには孤独が自分を守るのかもしれないね。おそらく日本中で1番簡単に孤独になれる場所も東京だ。駅のホームで泣いたからって誰かに声をかけられない。泣きたいときに泣きたい場所で泣いてもいい街。

 

干渉されずに孤独になれると同時に、誰も他人の世界に不用意に入り込まない。都度誰かの孤独に心を動かしていたら、心臓がいくつあっても足りなくなるからだ。

 

だからわたしもイヤホンを外せないのである。

 

誰かと孤独をあたためたくなる夜

 

そうは言っても、イヤホンから流れる世界に不安になる夜もある。なんならそんな夜ばかりかもしれない。イヤホンが邪魔になって眠れない

 

自分を守ると引き換えに世界から置いて行かれているようで。このイヤホンがどこかへ進む足かせになっているようで。

 

ふいにイヤホンを外して走り出したくなるんだよ。どこに向いて走ったらいいかもわからないのに。

 

ふいに戦わなきゃいけない気がしてくるんだよ。戦う必要があるかもわからない何かと。

 

そうしてまた、イヤホンの世界に帰ってくる。

別に孤独がすきな訳じゃない。

 

わたしはイヤホンをせずに風の音や自分の足音を聞いて歩ける場所がすきだ。誰かとすれ違って「こんにちは」なんて挨拶も交わしたい。

 

それができない場所なら、自分のイヤホンの片耳を渡して、一緒に街を歩けるような誰かにいてほしい。数は多くなくたっていい。同じペースで歩いて、たまに立ち止まって、同じ音量で話ができるような人。

 

そしてそのときはわたしもイヤホンを片耳借りて、一緒に笑って、一緒に涙したいって思うんだよ。「笑顔は2倍で涙は半分ね」みたいなやつを信じたいなって思うんだよ。

 

雑音に紛れながら、誰かにとっては雑音になるかもしれない音色を、誰かとなら奏でたいって思うんだよ。

 

そしたら「今日はイヤホンいらないね」って東京を歩く日がくるかもしれないな。

  

竹口和香