ただいま。
今日は、摂食障害の方でよく見られる恋愛傾向を考えてみた。
依存愛と利用愛のプロ
今日は、つい先日ツイートした”依存や利用の愛”について。
【摂食障害が治って出来るようになったこと 心情編】
— 竹口 和香@NHK障害福祉賞(摂食障害) (@S1592Waka) December 13, 2018
・依存や利用じゃない恋愛を知った
・親が全てじゃない事を知った
・他人を許せるようになった
・同時に自分も嫌いじゃなくなった
・自分の意思で高度出来るようになった
・自分の喜怒哀楽を感じられるようになった
・未来を信じられるようになった
「既婚者の私、これいけるか・・?w」と思ったけど私もつい最近まで、上手な愛の受け渡しが出来なかったなぁと思い出したから書く。数年前の私の口癖は「彼氏なんていらない」でした。
過去の私(依存ver.):彼氏からの承認がわたしの存在価値
わたし過去の恋愛ではとっても「いい彼女」。自分で言うのもなんだけど。男に喜ばれるであろう女像を演じること、それは私にとってごく普通のこと。
可愛くて優しくて尽くしてくれて何も文句を言わない子。それがわたしの「いい彼女」像。
もちろん彼氏に対して、わがままは言えない。「なんでもいいよ」「合わせるよ」「⚫︎⚫︎くんのために」不満があっても言えない。めんどくさいヤツだと思われたら失格。
彼氏にいかに愛されるかがわたしの存在価値だった。
だから、彼氏にとって「いい彼女」でいなきゃいけなかった。「自慢の完璧な彼女」でいることで、愛されると思っていた。
でも、それが本当の自分じゃないことはわたしもわかってる。だから愛されても愛されても不安で心配でいつも確かめたかった。
わたしはわたし自身の存在承認を彼氏に委託してしまっていた。自分で自分に自信がないから、誰かに私の価値をつけてもらうしかなかったんだ。
長続きすればするほど、わたしの中で彼氏が占める割合は大きくなって、それに伴って、私が彼氏に委託する存在価値もどんどんどんどん大きくなった。
その「依存」こそが好きという感情なんだと思っていた。好きになれば好きになるほど、同じ重さで愛されているかが不安で堪らなかった。
結局、わたしが好きなのは彼氏じゃなくて「愛される自分」だったのかもしれない。
「いい彼女すぎて疲れる」「何考えてるかわかんない」そう振られました。モテるけど付き合うと振られる。これが私の恋愛パターン。
彼氏がいなくなるということは、同時にわたし(の存在価値)がいなくなることを意味してる。彼氏に尽くしまくっていたわたしは、彼氏がいなくなったことで心を特大バズーカで撃ち抜かれたような喪失感を持ち帰る。
あぁ、結局わたしはどれだけ頑張ってダメなんだ。もう人と深く関わりたくない、信じたくもない、でも誰かの承認がなければ生きていけない・・・
過去の私(利用ver.):リスクのない承認欲求
そこで辿りついたのが、利用の愛。
よく彼氏彼女と別れた時に「この一ヶ月はめっちゃ遊ぶわ!!!」ってあるやん。あれって、寂しさを埋める代償行為で。その心理に習った。
1人に100の愛をもらうより100人に1の愛をもらうほうがリスク回避になるじゃん!!
ここにきて謎の壊滅ロジカル。
1程度の愛とかよく分からなかったので、キャバクラに入って一定の承認でそれを叶えてみた。事実、誰かに依存することもなくなったけど、同時に誰かに期待することもなくなった。特定の誰かを失う恐怖がなくなり、「いい女」を演じる私は消えた。
ただもうここまでくると愛とか何とか分かんない。男性は、私を保つ手段として存在するだけのものになった。
乾いた笑いが増え、あたたかい涙は忘れた。あれだけ「いい子」だった私が、誰かに対して痛みを感じることがなくなりました。
実際、今の旦那と出会ったときは「あなたと付き合うメリットが分かりません」なんて真顔で聞いていました。(まじでごめん)
結果どちらも本質的な幸せじゃなかった
今思えば、わたしは「恋愛」をしたことがなかったのかもしれない。本当のわたしのまま、誰かと向き合うことがいつも怖かった。背景には、ずっと自分自身を認めることができないわたしがいました。
だから偽りの自分で付き合うことで誰かを失い、複数の承認で満たされることで自分を失っていた。偽りの自分を作りすぎて、自分が誰かもわからなくなった。
他人の承認をわたしの価値にする危うさが、当時のわたしには全く分からなかった。かといって当時わかっていてもどうすることも出来なかったのかもしれない。
誰かを愛するって自分を愛すること。
自分を愛するって誰かを愛すること。
そう思うと、恋愛ってすごくむずかしい。
わたしもちゃんと人を愛したいと思うまで、実際に人を愛せるまで、自分を愛せるまで、たくさん時間がかかった。
あなたの愛は、愛ですか。
竹口 和香