摂食障害を知らない人に摂食障害を説明するのが難関すぎて。

 

先日、古い友人と摂食障害の話題になった。

 

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彼は摂食障害を知らない。といっても、わたしの活動を知っている人間なので、「摂食障害を全く知らない」というよりかは、「友人が何やら活動に徹している病だ」くらいの認識ではあると思う。

 

普段、当事者とお話しすることが日常で、わたしに相談や取材を申し出てくれる方は最低限の摂食障害の知識を持って対話が始まる。摂食障害を知らない人にこの病を語る機会と言えば、一方的にこちらからプレゼン形式に話す講演くらいだ。そういう日々を過ごしているものだから、わたしの感覚が麻痺っていたのかもしれない。

 

「摂食障害としては5年なんだけど、拒食も過食もあってね」と話すと、「えっと...摂食障害と拒食?はどういうアレ?」と彼は返した。

そうか、そこからか。と思った。彼とは知り合って10年になるし、不定期ではあるけど比較的やり取りを交わす仲であるのだけど。

 

「摂食障害という大きなくくりがあって、その中に拒食と過食というものが存在しててね。出てる症状は真反対でも、根底は同じなんだよ」。

 

彼の頭の上には既にハテナが飛んでいた。そうだよなと思った。

 

「他人や世間の目でしか生きられなくなる。で、人生が狂う。その症状として痩せが起きたり、その痩せの反動で過食発作が出る。それを自分の意思でとめられないから病気なんだよ」

 

彼は目を丸くして聞いていた。少し黙って、「それ、めっちゃつらかったよね」と言った。純粋でとっても優しい友人が、ぎゅっと振り絞った言葉だったんだと思う。「死んだほうがマシと思うほど辛かったね」とわたし。

 

「それさ、こう、どうやったら治るの」、と彼は優しく聞いてくれた。わたしの物語を聞こうと、どの言葉を使えば傷つかないかと気にしながら、その言葉を発した。

 

普段行う相談でも取材でも、必ず断言を濁す質問だった。摂食障害には特効薬がなくて、万人に効く方法もなくて、その人の中で摂食障害の位置付けを紐解く中に摂食障害から解放される糸口があるからだ。

そういう意味では、かけられた呪いから解かれることが、治る方法なのだとも思う。

 

「自分の許せる部分を増やす練習をした。他人とか世間に汚染されて許せなくなってた自分も、大丈夫だよって、それでもいいよっていう練習をしたかな」

 

わたし真面目すぎたからさ!と付け加えると、ようやく少し理解したような顔をした。大事な部分が、少しだけ伝わった気がした。

 

「でもそうやって回復した人が発信すると、誰かの希望になれるだろうな」

「でも、『答え』にならないようにとは思うよ」

 

摂食障害の領域で、断言をすること(答えを提示すること)は、筋違いの暴力だと思っている。

 

だから、その人がその人の答えに少しでも近づけるように、対話(おふたりトーク)の時間を設けている。「治しますよ」なんて無責任なことは言えないけど、治すために必要な、その人の摂食障害の位置付けを一緒に探すことはできる。

 

摂食障害から寛解して5年経って、この活動を数年やっているわたしですら、摂食障害を全く知らない人へ摂食障害を説明するのはとてもむずかしい。どの切り口で話せばいいか分からなくて、頭の中が渋滞してしまう。

 

この経験を忘れないように、ここに残しておきたい。多くの人が抱えるであろう「伝わりにくさ」を忘れずにいたい。

 

摂食障害メディア『haju』(詳しくはこちら)も、誰かの代弁者のような役割になれたらいいのかな。『haju』の役割については、頭を抱えながらもこれは勢いで始められないものだと思っている。

 

この記事を読んでくれている人が、あの頃のわたしが、少しでも楽に過ごせる日常になるといいなぁ。

 

竹口 和香

 

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