社会問題としての摂食障害に絶句した、活動家3年生の夏。

 

この記事を書くのか、幾晩も悩んだ。

いや、正直な話をすると、今だってパソコンのキーボードを慎重に鳴らしながら、書こうか書かまいかの瀬戸際にわたしは立っている。

 

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それでも書こうとするのは、その景色を見なかったことにできない自分と、どうにか雲間から光を見つけて前に進みたい自分のためだと思う。

誰かを不快にさせたり、傷つけたりするかもしれない。そんなザラザラした文章を、これから書く。

 

情報の整理整頓をしたい

 

情報の整理整頓をしたい。

この活動を続けるほどに強くなっていく願望だった。

 

確かな情報よりも「わかりやすい」「目立ちやすい」情報が横行する世の中。情報がそこかしこに散らばり、多すぎてどれが正しいか分からない、という意味での「情報過疎」

 

摂食障害は、まさにその境地にいる。

 

拒食や過食がメディアの餌として扱われる。

一人の体験談が一般論かのように語られる。

症状を助長する情報交換があとをたたない。

ソースや真偽不明の情報が何千件もRTされる。

個人の「支援者」の情報に都度惑わされる。

中には効果を約束する高額コースも存在する。

 

 

イチ経験者、イチ支援者、イチ活動家として見えている景色は、そう綺麗なものじゃない。

例にもれず、わたしも安全か否かのジャッジを、当事者さんに押し付けているのかもしれない。

 

この負荷や被害を属人化させていること自体がおかしい。

摂食障害はもはや個人の問題ではなく、社会全体が抱えている問題だと思う。

 

情報の整備が必要だ。

 

「何が足りていないか」すら分からないほど、情報が足りていない状態であることは明白なのだ。

 

寄せられた当事者さんの「叫び」

 

当初の計画は、医療機関などの紹介レポをメディア化する、といったものだった。

 

このへんで休憩がてら朗報を挟んでおこうかな。

実を言うと、メディアの型はもうできている。(敏腕デザイナーさんありがとうございます。土下座)

 

その計画を前提に、先月の中旬にアンケートをとってみたのだ。

 

ありがたいことに、2日間で170件以上の声が寄せられる

 

症状も、フェーズも、環境も、悩みも、みんな違う。一覧表示でずらりと佇んだ言葉の景色を今でも思い出す。

 

「正しい情報を広めてください」

「綺麗に描かず現実を描いてください」

「優しく寄り添ってくれるものを望みます」

「社会の偏見を淘汰する情報提供をして下さい」

「家族や周囲の人達向けの情報もお願いします」

「身体のことじゃなく心の問題を扱って下さい」

 

・・・・・

 

読んでいて、胸の奥をグッと握られた。

 

その1つひとつの言葉を、「回答」「意見」とは言えない。これは社会に追い込まれた「叫び」、そのものだ。

 

でも、忘れてはいけないことがある。これは単なる街頭アンケートじゃない。メディア制作のもととなるアンケートだ。

 

いちメディアとして向き合える叫びには限りがある。メディアを持つということは、「何に応えていくか」の取捨選択を行う手になるということだ。

 

わたしは取捨選択を行わなければならない。

 

「まずはみんなの声を聞いてみたい」そう思ったわたしが浅はかだったのかとすら思う。

 

それぞれの摂食障害の中に、それぞれの叫びがこだましているのだ。

 

 と、同時に170人以上の叫びが、せーの!と声をあげて教えてくれたこともある。

 

「摂食障害には、何も足りていない」。

 

過疎状態の医療機関

 

場所(メディア)を設けて情報を発信するには、イチ個人のSNSの何倍もの責任が伴う。と思っている。

 

竹口和香という個人がたれながす情報と、メディアから発される情報は、たとえ中身が同じでも「教室端のイチ生徒の独り言」と「全校集会の生徒会長の提言」ほどに異なって読者に届く。

 

アンケートをとっている裏で、わたしは専門医や大学病院の入院患者を診ている精神科医の方と会話をしていた。

 

メディアのあり方、医療情報の取り扱い方、現場の実態・・・

想定していた言葉が次々と流れ込む。

 

「情報統制は絶対に必要だと思う」

「だけど公的団体はそこまで手が回らない」

「医療に繋がれても受入れに限度があるのが現状」

「大学病院の受入れは急性期治療なので、体重管理がメインになる」

「心理士やソーシャルワーカーとの包括支援が必要だけど体制は整っていない」

 

机上で知っていた情報を、いざ当人の口から聞くのは、まぁまぁきついものなのだな。というのが正直な感想だった。

 

もちろん、それ以上に学ぶことが多くあった。

「なんとかしたい」現状の中で、「どうしようもない」実態が、ゴロゴロと転がっていた。ここにその実態を書く勇気は、今のわたしにはない。

 

 

ひとつ言えるのは、各々が、置かれた場所で全力であること。

 

ただただ、医療機関の情報を出しても、その先で傷つく人がまた増えてしまうことが分かった。メディアが誰かの新たな傷をつくりかねないのだ。

 

 

当事者さんの叫びと、医療機関の実態の板挟みになり、息がしづらい日が続いた。どこに向かって進めば、描きたい未来に近づけるのだろうか。

 

 

ゆっくり確かめながら一緒に歩いてください

 

いただいた助言のひとつに

「これからは、医療、福祉、自助、ピア等の役割を提示する必要がある」

といったものがあった。

 

わたしは、受援(支援を受ける)リテラシーをあげる方法を書くのはどうかというアドバイスなのだと受け取った。わたしが課題意識をもつトピックスでもある。

 

医療にカウンセラーの役割を求めると、結果傷つくのは当事者さんだ。

受診のハードルが高くとも、ピアや自助でできることだって沢山ある。

 

わたしの中でまだ明確な形はイメージできていない。絶賛模索中で、この文章の中に答えという名の終わりもない。

 

だけど、わたしはひとりではなく、みんなの声をもらいながら、今はまだない形を作っていきたいと思う。独走して「わかりやすい」「目立ちやすい」情報と化することは一番避けたいのだ。

 

綺麗じゃない領域で、綺麗であることは嘘だ。

だけど、少しの希望や光になる「手がかり」なら模索できるかもしれない。

 

すこし(いや、すこしじゃないかもしれない)、考えるためのお休みをします。そして、動き出したら、どうか助けてください。

 

 

社会問題は簡単に解決できないから社会問題だ。

厄介で、めんどくさくて、クソ野郎って思う。

だけど、目にしたのなら、やりたいのなら、やるしかなくね?

 

 

ということで、みなさん、どうか、これからも支えてくださるとうれしいです。

よろしくお願いします。

 

 

〜最後まで読んでくれた方へ〜

計画中のメディアの名前は『haju』(はゆ)といいます。 フィンランド語で「手がかり」「香り」という意味です。

 

名前のようなメディアを創れるよう、わたしと一緒に『haju』を育ててくださるとうれしいです。

 

 

竹口和香

(結構この1ヶ月で泡ふいたのでリプや引用RTいただけると泣いて喜びます)

 

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