「それって自分の意思の問題じゃない?」
摂食障害を知らない人だとそう思う人も少なくない。
実際、摂食障害の経験が過去になったわたしでさえ、当時の自分の言動をよく理解できないこともある。だけど、この言葉は摂食障害に限らずどの精神疾患を持つ方へも絶対に言ってはいけない言葉だ。
摂食障害は意思の病気じゃない
まず断言する、摂食障害に意思の強さ・弱さは関係ない。むしろ、誰よりも自分に厳しい人が多い病気です。
「食」が、わたしたちの生活とあまりにも近すぎて、理解がされづらいどころか、誤解されやすい。甘えやワガママ、そう思う方も中にはいます。
そういった意味でも、
本当に、本当に、難しい病です。
制御不能な自分が存在する孤独の病
摂食障害(特に過食症の場合)では、自分の中に、自分ではコントロールのできない、もう一人の自分が存在する。
なんだかスピリチュアルなことを言い出したゾ・・と思われるかもしれないけど、これが一番適切な表現だと思うのだ。
止められない自分とは
過食症の場合、大量にモノを食べる自分は、本来の自分の意思と相反しています。
わたしはこれを「発作」という呼び方をしてるのだけど、この発作は、自分の力では止められない。
ただただ、諦めて従うしかない。大量にモノを詰め込んで吐き出すまでの一連の発作。
発作から我に返った自分は、それが自分の意思の弱さであると、ひどく自分を責めたてる。
本当は、こんなことしたくない。解放されたい。今日は「ちゃんと」生きるって決めたのに。自分が弱いからこうなるんだ・・・
「大丈夫」「そばにいる」と伝えてあげて
もしかしたら理解できないことも多いかもしれない。目の前の娘が、友人が、彼女が、ちがう人に見えるときもあるかもしれない。
だけど、本人は誰よりも自分の行動に苦しんでいます。誰よりも自分が自分で恐ろしくなっています。
解決法や治療法を提示するんじゃない。
本人が周囲へ求めていることは、「摂食障害でもそばにいてくれる」という安心感です。
「大丈夫」「そばにいる」
そう言ってあげてください。
涙を流せる場所を、作ってあげてください。
きっとそれが、何よりも支えになります。
今にも、摂食障害という地獄で息ができなくなりそうな大切な人に、余白を与えてあげてください。
摂食障害という罪の意識を、深い傷を、知り尽くさなくていい。完璧に理解しようとしないでいい。
「どんなあなたでも価値は変わらない」
そう、声にしてあげてください。
竹口 和香