そういう、日常だった。
ここにわたしはいない
いつも「ここで笑ったほうがいいよ」と自分の頭から指令を受けて、何がおもしろいかも分からないその場で甲高い声で笑って見せた。
この時間はなんの為にあるんだろう。
この時間はわたしの何に役立つものなんだろう。
この時間、この人、この場所がわたしにもたらすものはなんだろう。
いつもそんなことが頭によぎる人間だった。
そこに理由がないことも何となくわかっていて、理由がなくても「楽しくて笑う」ができる人がいることも何となくわかっていて、それが "トモダチ” というものなのかもしれないということも何となくわかっていた。
授業合間の "無駄な" 時間、放課後に "何をするわけでもなく" 共にすごす時間、休日に何の思い入れもない場所に "楽しい" をしに行く時間、「あの頃はさ〜」と過去の思い出話に浸る "進まない" 時間、特段の理由もないのに ”場面で” 始まる飲み会やその後の二次会。
いつも上の空で、それでいてカメレオンのように表情だけは立派にそこにいる一員で、何を口実に今この瞬間から抜け出そうかと考えていた。
「今笑うところだよ」
「ここは知らないふりの方が場がまとまるよ」
「帰るときは惜しそうに何度も振り返って笑うんだよ」
晴れてその時間から解放することができたとき、ようやく指令がとまり酸素が体中に染み渡る。
仮面を外して、孤独なわたしに戻るのだ。
そう、わたしはずっと孤独だった。ずっと、そこにわたしはいなかったのだ。
わたしがわたしを守る術
わたしはどこかで "その人たち" を馬鹿にしていたのかもしれない。
意味もなく時を過ごして、意味もなく楽しんで、意味もなく笑って、そこに意味など求めなくてよくて、そんなことすら考えなくて。
意味を見出さなくても生きられる人を馬鹿にすることで、意味を見出すことでしか生きられないわたしを守るしかなかった。
未来のわたしに説明がつく正しいことしか、わたしはわたしに許すことができなかった。一瞬一瞬が、この先の未来のわたしの糧になるかの認定試験だった。そしてだいたいの瞬間は、その認定試験に見事脱落する。
だから、わたしは仮面をかぶるのだ。それが、肯定したくない "今" にいるための唯一の方法だったから。だから、笑いたくもないときにたくさん笑って見せた。
わたしはきっと、誰よりも今を生きていない幻想の中の人間だったのだと思う。
わたしの居場所
孤独だったからそんな風になったのか、そんな風だから孤独になったのか、どちらが先なんて今更覚えていないけど、確かにわたしは孤独だった。
孤独という言葉を使うと聞こえがいい。現実を感じずに幻想の中で生きることしかできない人間だった。
いつかこんな毎日から抜けてやると意気込んでいた。お前らとは違う世界で生きてやると思っていた。わたしはこんなもんで終わるはずないと信じてやまなかった。
ドラマのヒロインになったつもりなのだろうか。自分が本気を出せば世界なんて変えられると、きっとどこかで思っていたのだ。
今この瞬間を否定することで、漠然とした輝く未来を恋いては、ずっとわたしが笑う場所を欲していた。
わたしは生きることに飢えていた。だからずっと夢を見ていた。
わたしはだれですか
自分の指令通りに笑うことに慣れたら、自分の "こころ" がわからなくなっていた。こころという言葉すら怪しくて気味が悪かった。
相変わらず幻想を抱いては、今この瞬間をやりすごすための指令が聞こえる。
「あなたは今こういう風に振る舞う役割だよ」
「泣かない方がこの場が面倒にならないよ」
「その好きとやりたいってどう証明するの」
メリットが分からないものや説明がつかないものは全て消えた。すきもきらいもやりたいも、わからなくなっていた。
ただただ、この日常がある日突然終わることを願って、今を感じられないわたしは次の瞬間に何をしたらいいかすら、指令に依存していた。
そうして、わたしの幻想は一向に現実にならず、今を生きるための指令がわたしを殺し、"今” の連続であるわたしの人生を蝕んでいた。
現実世界へようこそ
幻想世界のヒロインをやめて人生の主人公になったとき、「空は青いなぁ」と何でもないいつもの空を見ていた。
孤独になることで自分を守った。
人を見下すことで自分を保った。
幻想を抱くことで現実から目を背けられた。
でも、わたしは笑えなくなっていた。
だから、敵すらわからない人生をかけた闘いの敗北を認めるんだ。
ハーゲンダッツを食べたことが今日のしあわせだっていいじゃない。今日は何もしなくても、明日何かすればいいじゃない。思ってもないのに「わかるよ」なんて言わなくたっていいじゃない。
笑いたくないのに、笑わなくていい。
泣きたいのに、「大丈夫」なんて言わなくていい。
「好き」を誰かと比べなくたっていい。
「やりたい」があることが正解じゃない。
本当の "正しい" ことは、自分に正直であることなのかもしれない。それが時に指令と反する感情でも、それがその瞬間の答えなんだと思う。
でも、それを一人でするのは怖いから、人は人と一緒にいるのかもしれない。不完全でどうしようもないから、その人が愛おしいのかもしれない。
笑って、泣いて、怒って、時に離れて、その先にわたしが笑える未来があるんだって思いたい。
そうやって向き合えた人と、意味のない時間を続けて生きていたい。
竹口和香
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