あっちへこっちへ求められた方へ。
自分が一緒にいる人を選べない
誰にどれだけ深く関わるべきで、
誰にどれだけの信頼を寄せて
誰にどれだけ自分を開示していいのか。
「(自分にとって)いい人」
「(自分にとって)悪い人」の区別がつかない。
いいってなんだ。悪いってなんだ。
すごく疑い深いはずなのに、
すごく現実主義なはずなのに、
誰にも期待していない素振りを出すのに、
自分の弱さに「わかるよ」と笑顔を見せた人は
みんないい人な気がしてしまって、
この苦しさから手を引いて助けてくれる気がしちゃって。
わたしがその人と一緒にいたいか、じゃなくて
その人がわたしと一緒にいてくれるか、
が対人関係のすべてだった。
相手の意図もわからずに、真意も知らず、沼にハマっていくのだ。
生きづらい人間関係
あの頃は「生きづらい子」だった。まぁ今もおおむねそうだけど。
「ほどよくみんな仲良い」が苦手で、グループの中で特定の子と一緒にいたかった。ここにわたしがいるための許可がほしかったのだ。結果、輪を乱してしまった。
頼み事をされたら、自分が必要とされた気がして「やるよ!やるやる!あなたのためなら何でもします!」みたいな感じだった。どれだけ忙しくても、体調が悪くても。自分の居場所を確保できるチャンスなら命すら削れてしまう。
そのへんでナンパされた人と仲良くなって後日会っちゃったりして、口説き文句の薄っぺらい「ほんとは弱いところもあるもんね」に心底依存した。この人はわたしの本当の部分をわかってくれるかもしれない!なんて言って。で、捨てられた。
仕事を紹介されるうちに気づいたらAVの撮影所にいて「生着替え10万、1絡み50万です」なんて話を、真顔で「はい・・」と聞いた日もある。自分が体を売ることよりも、ここで断ったら申し訳ないという気持ちが働いたのだ。AVは出なかったけど。
いつも自分が世界の最底辺にいたのだ。
だから、必死に好条件のわたしでいなきゃいけない。
なんかずっと空回りで、本当にほしい何かを求めて、ただひたすら空っぽな私を埋めていくことをしていた。
無価値なわたしだから
ずっと「相手に価値を与えてる自分」しか許せなかった。その対価として誰かと一緒にいれると思っていた。
それくらい、”なにもしていない”自分は存在しないも同然だったのだ。いや、存在しない方がマシかもしれない。お荷物だと思っていたのだ。
自分で自分の存在を認められないから他人に異常な承認欲求を寄せる。自分の意思で生きていけるほど自分に自信がない。
「自分なんて」って思っちゃうことで、本当に助けてほしい人、本当に頼りたい人に迷惑をかけられない。迷惑をかけるくらいなら死んでしまいたい。
こうして、どうでもいい誰か本位で人生が埋まって流されていく。
切れそうな糸で、わたしに手を伸ばす誰かを待っている。今この瞬間を埋めることに、必死なんだ。
満たされないことも、自分が本当に求めていることがそこにはないこともどこかで、どこかで気づいているはずなのに。
こうして「条件」で生きるゆえに、誰かに「条件」で見られることにも気づいているはずなのに。
「はじめまして。あなたはわたしの何がほしいですか?」
竹口 和香