ピアサポート的立場としての2年間の軌跡とこれから

 

第53回NHK障害福祉賞を受賞して2年と少しが経ちました。

光栄なことに、1月24日放送 Eテレ「文字の獲得は光の獲得でした 作家 柳田邦男が読むいのちの手記」に出演が決まりました。これを機に、この活動を始めて観た景色やその心情を言葉にしてみようと思います。

 

▼2年前の手記はこちらです(摂食障害体験記)

www.npwo.or.jp

 

以下は、ノンフィクション作家 柳田邦男さんとの対談に向けて書き下ろした手記の原文です。※一部内容を変更しています

 

「ピアサポート的立場としての支援」という領域で悩み、もがき、わたしなりのヒントを掴んだ軌跡をどうか見てやってください。

 

2年ちょっとのわたしをぎゅっと詰め込んだつもりが、7000字超えの物語となってしまいました。これでもまだ全てを語った訳ではないですが、嘘偽りのないわたしの葛藤と裏話です。

 

 

境界〜『今の私のままで』の先に見えたもの〜  

▼音声版はこちらです

             

 

あの日から2年の月日が流れた。

 

あの日とは、わたしがわたしの一部を外の世界に解き放った日だ。摂食障害の体験談でNHK障害福祉賞の優秀賞を受賞した日でもある。

 

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わたしのもとから摂食障害が離れていったように、あの日と今日のわたしにも何か変わったことがあるのだろうか。

 

いや、むしろあの日と変わらない核たるわたしなど存在するのだろうか。

 

 

支援者という名刺を持って

 

“あの日”、わたしは摂食障害の元当事者から希望を与える支援者になった。

 

摂食障害に苦しんだあの頃、本当は喉に手を突っ込みたかったんじゃない。

喉から手が出るほどに、これからの人生に希望が欲しかったのだ。今ここにある地獄は永遠に続くものじゃないと誰かに声をかけて欲しかった。

 

まさにその希望になりたかった。いや、なった。

 

この孤独の病に苦しむ人に希望を与えられる存在になったんだと、その時のわたしは疑うことなく確信していた。

 

わたしは、あの地獄から抜けてきた支援者だ。

 

 

孤独を作り孤独に殺される彼女たち

 

摂食障害は孤独を作り出し、そしてその孤独は新たな孤独を生み、やがて彼女たちを食い殺す。

 

多くの当事者は自分が描いてきた理想像と現実の乖離に苦しみ、摂食障害を持つことを他人に話す選択をしない。実際、わたしに相談をしてくれる方の多くが、家族や友人、恋人にも話をしていないのが実状だ。

 

“完璧な子”

“他人思いのいい子”

“手のかからない子”

 

そんな生存戦略を武器に生きる彼女たちにとって、そこから逸脱することは、自分の価値を大きく下げることなのだ。

 

どれほど苦しくても、悔しくても、自分の意思ではどうにもならない病を「自分自身のせいだ」、「意思の弱さの問題だ」と自分自身を責め、決して人に助けを求めない。そうして自分を苦しめながら自分自身の価値を守るのだ。

 

やがて、自分を守ってきた生存戦略により人間付き合いで息がしづらくなるからどうしようもない。他人との境界線は濃く深くなり、家族とすらもすれ違っていく(もともと機能不全家族の場合も多いが)。

 

周囲もその病に気づくことがないまま、叫びは闇に葬られてしまうのだ。

 

そんな孤独地獄が目の前で起きていることも知らず、世の中の言葉の刃は彼女たちを傷つけてしまう。そして仮に、何かの拍子に気づいたとしても、理解し得ないものとして彼女たちを責め立てることすらあるのだ。

 

まだまだ医療を含む支援が進んでいない摂食障害、その病を抱える人が安心できる場所はほぼないと言って等しい。

 

そんな状況下で、彼女たちが利用するツールのひとつがSNSだ。

 

ここ(SNS)から始められる支援があるとわたしは確信していた。

なぜなら、当時のわたしが毎日毎日情報や味方を求めて、摂食障害に関連するワードを半ば脅迫的にスマホの検索画面に打ち込んでいたから。

 

 

 

顔も名前もわからない悲痛な叫び

 

SNSを中心とした活動を始めるため、わたしは摂食障害の情報やわたし自身の経験を発信するブログとTwitterをはじめた。平行して、講演会やイベントへの参加、相談事業も開始する。

 

NHK障害福祉賞受賞のインパクトもあってか、間もなく想像以上の反響があった。笑顔の仮面を被った自分とは生きる世界を分けるように、顔も写ってないアイコンに匿名のアカウントから次々とフォローが届く。

 

「わかってくれない」

「今日もこんだけ吐いた」

「一生このままなら死にたい」

そんな諦めにも近い悲痛な叫びが広がる世界が見えた。

 

生まれては消える、日常には届くことない叫びを目にするたび、当時の自分を見ているようで心の奥がぎゅっと傷む。

 

発信を続けるうちに、彼女たちからさらに多くの声が届くようになった。

 

「どうやったら治りますか」

「こんな自分なら死にたいです」

「誰にも言えなくて苦しいです」

「助けてください」

 

中には親指でスマホの画面を数回なぞらないと読めない量の”見えない叫び”が、23歳の赤の他人であるはずのわたしのもとに次々と届く。

 

必死に彼女たちの叫びに向き合う。だけど、自分が摂食障害を克服した方法はわかっても、目の前の顔も名前もわからない彼女が摂食障害を克服する方法を、わたしは知らないのだ。

 

彼女たちの期待に添えない自分を誤魔化すように、何回も何回もやりとりを重ねて言葉を重ねることも多かった。きっとどこかで気づきはじめていた違和感に、わたしは目を背けながら、何かを変えてあげたいと向き合い続ける。

 

そこに見えているのは、わたしが想像していたよりはるかに多くの人がこの病に苦しんでいるという事実と、そこに対するわたしの執着だった。

 

 

目にした彼女の涙の意味

 

以前、人を本に見立てて体験を共有する“ヒューマンライブラリー”というイベントに登壇させていただいたことがある。

 

数回繰り返されるトークのとある回、少しだけ遅れて部屋に入り、申し訳なさそうに席に座った女の子がいた。細い腕でハンカチをぎゅっと握りしめながらこちらをじっと見ている。

 

「症状はもちろんだけど、こんな甘ったれた自分が許せなくて、誰にも言えない罪に苦しめられた」

「親にすら助けてと言えない、こんな娘でごめんなさいと毎日心の中で謝ってた」

 

当時の心境について言葉にしたとき、その子は何度も首を縦にふりながら、頬に涙をつたわせた。

 

必死にわたしの目を見て、この瞬間を心に刻もうとするあの儚くて優しくて強い目は今でも印象に残っている。

 

そのときわたしが彼女に伝えたくなったのは、摂食障害の症状を抑え込む方法ではなかった。彼女の明日が、今日よりも少し身軽なものであってほしいとただ心からそう思ったんだ。

 

彼女の涙の訳は聞かなかったが、イベント後に彼女はわたしに「ありがとう、本当にありがとうございます」と目に涙を浮かべてそう言った。わたしも思わず泣きそうになっていた。

 

活動を始めて、これほど心が震え合った瞬間は初めてだった。

 

何かのヒントが、そこにあった気がした。でも、イベントが終わってスマホを開くと、さっきのヒントなんて忘れたように必死にスマホ画面と向き合うわたしが待っていた。

 

 

消えた『今の私のままで』の先

 

そんな活動を続けて数ヶ月後の昼下がりのことだ。

 

人、というより人で作られた渦に飲まれたわたしは、東京駅の改札近くで涙を流しながら過呼吸になり、運ばれた。

 

断線した充電器のケーブルのように、まだ頑張れるぞと意地を張るわたしと裏腹に、体は正直なもので明らかにわたしの中の線が切れてしまっていた。

 

訳もわからないのに涙が出る、文字が読めない、人の話の内容が理解できない、何をしても何も足りないように感じる。自分の頭が6割しか機能していないような感覚で、自分の身に何が起きているのか理解することができなかった。

 

わたしは摂食障害を克服したんだよ。人生やっとこれからやり直せるんだよ。あれだけなりたかった支援者になれたじゃないか。何が不満なんだ。頑張れ!待ってる人がいるんだから頑張れよ!

 

気がつけば摂食障害だった頃と同じように、自分自身を置き去りにして理想の自分に向かって空中を走っていた。摂食障害の回復途中に、おまじないのように唱えた『今の私のままで』を、簡単にゴミ箱に捨ててしまっていたのだ。

 

もしかしたら、支援者や希望という言葉に1番すがっていたのはわたしだったのかもしれない。

 

 

浮き彫りになった境界線

 

そんな状態になってもなお「体調が悪い」と口にすることはもちろん、SNSの更新頻度を下げることすら怖くてたまらなかった。

 

あれだけ「ゆっくりでいいよ」「休んでいいんだよ」と彼女たちに声をかけているわたしが休むがことができないなんて情けなくてたまらない。

 

この時やっと、頭のどこかで人を支援する者と支援される者に境界線を引いている自分に気づくのだ。わたしは自分のために、また“完璧な”支援者になろうとしているのだと思い知り、ひどく自己嫌悪に陥ったものだ。

 

摂食障害に苦しんだ頃、

"摂食障害=◯◯"

“メンヘラ”

“精神疾患持ち”

というラベルを恨み、「わたし自身の苦しみを見てほしい」とあれほど孤独に叫んでいたわたしのことを、わたしは忘れてしまっていたのだろうか。

 

わたしが求めていたものはそばにいてくれて、安心できる味方ではなかったのか。その存在がそばにあるという希望がほしかったんじゃないのか。

 

声を上げながら強引に手を引っ張ってくる人、支援と謳って自分のエゴを押し付ける人に期待をしては傷ついてきたわたしが、自分のための支援者になろうとしていた。

 

あの日に見た彼女の涙に揺れた意味がようやく分かった気がした。

 

 

「わかさん、休んでください」

 

わたしはその日から支援者と名乗ることをやめた。2019年があけて数ヶ月経った、まだ少し肌寒い日だった。

 

まずは、「体調を崩しました。これから少しの期間は省エネ運転します。」SNSのフォームにそう文字を打った。

 

投稿ボタンを押す親指が震えた。

 

きっとまだ、人に落胆されることを恐れる自分がいたんだろう。休んでいる間に自分のことなんて忘れられるんじゃないかと思う自分が、まだ理想の自分に縋っていたいと言っていた。

 

その後すぐ、そんな自分がどれだけバカだったのか思い知らされる。摂食障害の当事者を含む複数の方から次々にコメントが届いたのだ。

 

「わかさん、休んでください」

「頑張りすぎてたんですね」

「ゆっくりしてください」

「わたしはいつでも待ってます」

 

あぁ、わたしはわたしに何を期待していたのだろう。

 

摂食障害の頃と全然変わってないやぁなんて自分に呆れながらも、その言葉に安心して涙が止まらなかった。顔も本名もわからない彼女たちの言葉に心底救われた。

 

わたしは摂食障害を克服した完璧な支援者じゃない。摂食障害を克服しても、今も自分の人生と闘っている。そして画面の向こうの誰かと同じ一人の人間なんだ。

 

支援と謳った日常の違和感と、あの日の彼女の涙から感じたヒントが少しずつ繋がったようだった。

 

 

摂食障害の終わりはどこだ

 

結局のところ、摂食障害が回復したところで、わたしは今も生きづらさを抱えている。いや、生きづらさという便利な言葉をこの場で使うのは少し言葉の粒度が雑かもしれないな。

 

摂食障害によって誤魔化していた心の穴は塞がっていないということだ。

 

当時のわたしは、何か大きなもやがかかった渦のような苦しみや日々の鬱憤に対して、過食や嘔吐で一時的に誤魔化すしか方法を知らなかった。

 

人に頼ることも、頼みを断ることも、自分を大切にするという意味すら知らなかった。

 

誰かの「ありがとう」が幸せで、それがわたしの生きる価値だった。できるだけ人に迷惑をかけず、できるだけ良品なわたしでいたかったんだ。

 

それが数年かけてようやく人の手を借りながら許せる自分を増やしたところで(臨床的に)摂食障害が寛解状態になった。だけど、摂食障害が回復しても人生は続く。

 

そんなことすら考えられないくらいにわたしの中で摂食障害が大きくなっていた。

 

回復後のわたしは、摂食障害の症状さえなくなれば「人生ハッピー!最高!もう何も怖くない!」なんてドラマに出てくる絵に描いたようなハッピーライフを信じていたし、その主人公であるわたしは以前の不良品を捨てて生まれ変わったかのような姿をしていると思っていた。

 

もちろん食行動の異常がないことは毎日見る景色を、温度を、感触を変える。でも、ただそれだけの話ともいえるのだ。

 

摂食障害を持っていたわたしも、回復したわたしも、わたしであることには変わりがなく、価値が変わった訳でも何者かになれた訳でもない。

 

今もこれからも、この先死ぬまで自分で選択する人生を時に躓きながら歩いていく。人は変わりつづける、だけどわたしであることに変わりはない。

 

そして、おもしろいことにそのわたしの価値は生まれてから死ぬまでも変わらない。

 

臨床的な摂食障害の回復を遂げても、完璧主義で他人思い、責任感が強くて弱音を吐かないわたしの中は、きっとまだ子供のまま時がとまっている。

 

この事実に気づかないおかげで、わたしはまたも自分自身を良質な作品にしようとしていたのだ。

 

 

SNSと日常の間にあるもの

 

そんな経験をしてからわたしの活動スタンスはがらりと変わる。

 

顔も名前もわからない彼女たちに、わたしの摂食障害回復劇を披露しても彼女たちが生きる物語は何も変わらない。わたしが彼女たちに届けられるものは摂食障害の克服法ではないのだ。

 

一人の人間として、明日が少しでも楽になれるような言葉を紡ぎ、一人じゃないと感じられる居場所作りをしたい、そう思った。

 

その後押しをするように、当事者さんからも声をもらう機会があった。

2020年4月に主催した100名規模の摂食障害当事者向けのオンラインイベントで、味方や仲間と繋がることを求めている声は想像以上に多かった。オンラインで仲間の存在を知れただけでも救われたと多くの人が口を揃えた。

 

www.wakasan-ed.com

 

 

間も無くわたしは、SNSを入り口にオンライン交流会を行うようになる。

わたしと彼女たちのつながりを“見える”ものにしよう。そしてわたしを介して繋がった彼女たちもまた“見える”つながりとなることで、SNSと日常の間にちょっとした居場所を感じられると考えたのだ。

 

実際に、オンラインイベントで参加してくれた彼女たちとのやりとりは日常的にSNS上で行われるようになり、わたしもまた彼女たちに支えられた。

 

イベントの参加者同士がSNS上で友達とやりとりするように会話をしているところを見ると、SNSと日常の境界に居場所が見えた気がした。

 

ことわたしのSNS上では、摂食障害に限らず『今の私のままで』を愛せない人への言葉や、生きづらさを言語化する文章を投稿するようになった。

 

摂食障害から離れたい訳じゃない。もちろん、摂食障害が社会的に孤独に強いられやすい病であることに違いはない。

 

ただわたしが願うのは、彼女たちの摂食障害完治ではないのだ。

摂食障害の有無に限らず、自分を大切にできずに自分を傷つけてしまっている人が、自分の人生を選択することに困難を抱えている人が、明日、いやこの一瞬でも心が楽になってくれたらということなのだ。

 

 

『今の私のままで』が集まった日

 

初めてオフラインのイベントを行ったのは2020年9月のことだった。

 

コロナ禍で摂食障害患者の症状悪化が注目される中、台風による低気圧が続き、芸能人の訃報が続き、SNS上でも暗い投稿を目にすることが多い頃だった。

 

当日もそんなご時世を描くようにしとしとと雨が降っていた。

それでも15名程度の参加者がつながりを求め、会場まで足を運んでくれた。内容は、わたしのフリートークと参加者同士の交流といったもの。フリートークでは、“摂食障害が回復してから今日まで”というトピックだった。

 

「もっと明るくてキラキラした話をするんだろうなって2年前は思ってました。それが希望になるとすら思ってた。だけど、摂食障害が終わっても当たり前に人生は続いていて、もちろんその中に苦しいこともある。摂食障害の症状でごまかせない分、負う傷が深いときだってある。わたしもフェーズが少し異なるだけでみんなと同じ、自分の人生と闘う一人の人間です。」

 

ようやく、『今の私のままで』彼女たちと向き合えた気がした。

 

その後の参加者同士の交流では、「Twitterの◯◯ちゃんだよね」という会話があったり、当日会場に来られなかった参加希望者と会場をオンラインで繋ぎ「こないだのイベントぶりだね!調子どう?」なんていう会話が見られた。

“見える”つながりが確かにそこにあった。

 

浅くゆるく、でも彼女たちにとっては“摂食障害を持っている”という前提でごく普通の日常会話ができること自体が希望であると、会場の雰囲気が物語ってくれていた。

 

イベントが終わり、参加者の一人がSNS上につぶやいた言葉がとても印象に残っている。

 

「当事者に努力を強いて、不自然な明るさを放つ克服者をずっと見てきた。今日の会は等身大で生きる人間の集まりだった。この温度感が欲しかった。安心できる。」

 

 

答えも名前もないこれからへ

 

この瞬間にも、顔も名前もわからないアカウントで叫ぶ人は跡を絶たない。

 

そして、彼女たちはつながりを持たないまま平行線の日常を続けることのほうが大半だ。きっと明日にも本名と可愛いアイコンで飾ったアカウントで「今日も楽しかった♪」と笑顔の写真を投稿して“作品”の自分を演出する。

 

そんな彼女たちのもうひとつの日常を誰が想像できるだろう。太く濃く引かれた境界線のこちら側の世界にいる彼女たちの叫びに誰が気づいてあげられるだろう。

 

見えないものを本当に見えないものにしているものは、何なんだ。その境界はどこにある。

 

見えないものを見えるものにすることだけが正解でなく、見えない場所で守られるものもある。そういった表裏の世界を持つことも生存戦略の一つであるかもしれない。

 

でも、顔も名前も分からない叫びに、一人の人間として小さな光を灯したいと思うのは、またわたしのエゴなのだろうか。

 

ーー2020年11月3日

 

あとがき

7000字を超えるわたしの足跡を辿ってくださりありがとうございました!

 

いかがでしたか・・? これまでわたしの葛藤や活動裏話をしてこなかったので、誕生日にリリースしておいてハラハラドキドキで胸がいっぱいです。笑(公開日:2021.01.05)

 

こうして今、肩書きもなにもない状態で言葉を紡いで皆さんと繋がっていますが、少し弱るとすぐに肩書きや実績を振りかざしたくなる自分もいます。だって、そのほうが分かりやすくて求められやすい世の中だから。

 

今もこれからも続く葛藤を抱えて、それでもこの物語を世に出すことで自分に「そのままで進んでいいよ」と言ってあげているのです。大切なものを大切にしながら、生きていきたいと思ったのです。それがわたしがわたしへ渡す誕生日プレゼント。

 

そして、、、

わたしの言葉を読んでくれる人がいて、初めて独り言が生きる言葉になります。

わたしの言葉に返してくれる人がいて、初めて独り言が生きる会話になります。

 

わたしがこうして言葉を紡げるのは、皆さんがわたしの言葉を生きるものにしてくれるからだと思っています。綺麗事みたいですね、綺麗事です。

でもほんとうにそう思うのです。

 

だから、去年もありがとうございました。どうか今年もよろしくね。

 

 

最後になりましたが、

この手記を書こうとわたしの心に火がつくきっかけをくださったNHKのスタッフさん、対談でこれからのわたしの人生へ強くあたたかく背中を押してくださった柳田さん、この手記を公開したいというわたしの思いに向き合ってくださったNHK厚生文化事業団の栗原さん、本当にありがとうございました。

 

また、公開前に原稿チェックをお願いしたとあるフォロワーちゃん、力を貸してくれてありがとう。中学生のときに学校の図書館でわたし(の手記)を見つけてくれて、今ハタチを超えて生きてますってまた出会いに来てくれたのです。今回はわたしが助けてもらいました。

 

誕生日に奏でる特別な抱負はありませんが、今年もみなさんと一緒に言葉と空間を創りながら、わたしの人生を生きていきたいです。

 

 

これからも人生は続く、だから今のわたしのままで。

 

ーー2021年1月5日

 

(感想やメッセージなど、Twitterで「@S1592Waka」をタグ付けてシェアしてくださるととっても嬉しいです!)

 

▼音声版もぜひ聴いてね

(わたしの声で心をこめて丁寧に読んでいます)

 

 


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