昨日放送の「文字の獲得は光の獲得でした〜作家 柳田邦男が読むいのちの手記」、観ていただいた方はありがとうございました!
イチ視聴者としては「50分じゃ足りん!一人ずつ特集組んで!」と思ってしまうくらいに、それぞれの出演者さんの人生がもっと複雑で深いものだと想像させられる余韻ある時間でした。
視聴者ひとりひとりが受け取るメッセージが異なり、そこから視聴者自身が想像し考えさせる機会を与える領域なのかな、とも思った。
今回は出演者という貴重な立場をいただいたので、テレビには映らなかった「大切な過程」やわたしがそこから得た「光の獲得」について綴ろうと思います。
20時間弱に及ぶ他者と共に自分の人生に向き合った時間、どうかお付き合いください。
「わたしこんな体調ですけどやりたいです」
「文字の獲得は光の獲得でした〜作家 柳田邦男が読むいのちの手記」は、NHK障害福祉賞を主催する、NHK厚生文化事業団さんの創立60周年を記念した貴重な番組。
NHK障害福祉賞では、これまで1万3千もの手記が寄せられ、多くの方が障害を、人生を、言葉にしてきた場所だ。
そんなNHK障害福祉賞の特番への出演オファーをいただいたのは半年ほど前のこと。
これまで沢山の人生に触れてきた選考委員の柳田邦男さんの心にわたしの手記が刻まれていたことを知るだけで、「わたし、生き続けているんだ」という不思議な感覚になった。
もちろん、わたしの中でオファーを断る選択肢はない。ふたつ返事で承諾をしたかった。
ただ、その頃のわたしは1日に2〜3時間しか思うように心と体が動かないような、まさにボロボロという言葉でしか表せない状態だったのだ。連絡をいただいた時も、おそらくベッドに突っ伏していたと思う。
「やりたい。でも体調の不安もあり一度相談させてもらえませんか。」
数年前なら笑顔の仮面をかぶって即レスでOKを出していたわたしが、自分の内側の葛藤を正直に話していた。驚いたと同時に、自分を抱きしめてあげたいくらい嬉しかった。
そんな葛藤を話してでも向き合いたいと思えるNHKのスタッフさんのあたたかさには毎度救われる。今のわたしの状態をお話しした上で、最大限の配慮をいただきながら撮影を開始することになった。
『今のわたしのままで』、向き合ってやる。NHKさんの理解と心遣いが後押しとなり、そう覚悟したのだ。
手記は「人生理解の宝庫」という
先日公開した手記、これは柳田邦男さんと対談するにあたって受賞作の続編とした書いたものだ。
NHKさんから指示をもらった訳じゃない。
今のわたしで柳田さんと対話したいという、わたしのプライドが筆を走らせたのだ。(正確にはMacのキーボードをひたすら叩いていた)
柳田さんは、人生をさらけ出す手記のことを「人生理解の宝庫」と仰っていた。まさにそうなのかもしれない。
受賞作を書いた2年半前から今日までのわたしを曝け出した上で、柳田さんと言葉を紡ぎあいたかった。あの時のわたしのまま対話をすることに違和感があったのだ。
当時のわたしの体調にとってはハードな撮影スケジュールと、療養の合間を縫って、それでも柳田さんにお会いする前にこの2年半のわたしを言葉で届けたかった。
わたしを包んだ柳田邦男さんの言葉
そして柳田邦男さんとの対談日。ふわふわと宙に浮く感覚がある不思議な朝だった。
あの柳田邦男さんと1対1で対話ができる日がくるなんていつ想像したよ。いつも空想の中で未来を灰色に描き不安に飲まれるわたしも、このときばかりは「人生なにが起きるかわかんないな」と思うしかなかった。
対談は2〜3時間に及んだ。柳田さんの手元にあったわたしの手記に、丁寧にマーカーやメモが入っているのを見て涙が出そうになった。
沢山の思いを伝えて、沢山の言葉を返していただいて、わたしはひとつひとつを忘れないようにと頭に刻みこんだ。帰宅してすぐ、テレビにも映像が映っていたあの日記に、その日柳田さんからいただいた言葉を書き残した。
それくらい、この先の人生で忘れたくない大切な瞬間だった。
どれもわたしにとって特別な言葉だけど、その中でも特に印象に残った言葉がある。
「人生は物語だから、それぞれに意味付けがあって、流れがある。竹口さんも摂食障害の自分がなくなったんじゃなく、その経験があったからこそ今回の手記が書けたのだと思います。」
人生は物語、その言葉がわたしの心にスッと染みた。
普段、「あんなに大変な摂食障害を乗り越えられてすごいね、よかったね!」と声をかけられることが多い。まぁ確かにそうだ。本当によかったと思う。
でも、死ぬほど辛かった摂食障害でもわたしの人生の過程なのだ。何となく抱いていたその言葉への違和感の理由がわかった。
摂食障害を悪者にして輝く今を生きている訳ではない。その経験の延長線上に今のわたしがいるんだと、柳田さんがわたしの生きてきた過程をあたたかく包んでくれた気がした。
同時に、わたしが今柳田さんの目の前に座っていることも、これもまた人生という物語の中のひとつなんだと思った。
番組制作の裏側という輝き
その業界にいる訳でもないわたしがこのセリフを吐くのは気が引けます、という前置きを添えて言いたい。番組を作るってとてつもなくむずかしい。
10分弱(わたしの出演時間)のために、数時間の撮影を5回と何回ものインタビュー、そしてそのデータのほとんどが世にでることがないままカットされるという世界。初めてこういった特番に出させていただく身としては目が点になってしまう。
スタッフさんと共に過ごした過程がすべて「なくなる」ことに対して虚無感すら抱いた。この時間も、対話も、言葉も、表情も、世にでることがないまま無かったものになるのかと、撮影真っ只中にぽっかり心に穴があきそうになった。
ディレクターさん、カメラさん、照明さんと何回も顔を合わせて対話をするたびにその思いは強くなってしまった。彼らが真剣に向き合ってくれている、そしてわたしも全力で挑んでいるという自負があったからだ。
自宅ロケが終わり「今日はこれで終わりです、お疲れ様でした」と機材を片付ける彼らを見ていると、思わずわたしの口からこぼれてしまった。
「なんでこの仕事を続けているんですか?」
すると、カメラさんがこちらを見て優しく笑ったのだ。
「こうして仕事で竹口さんみたいな人に会って人生の話を聞けるんです。すごくないですか。それがおもしろいんですよ。」
ハッとした。
先日、人生は物語であると教わったばかりのわたしが、他者の物語を体感した瞬間だった。と同時に、結果主義は充実した過程すら否定してしまうのかと少し怖くなった。
確かに、世にでる物語は切り取られた10分かもしれない。
ただ、わたしの人生という物語において、この撮影期間はたしかにわたしの中で存在し続け、これからの人生を創るものになるのだ。
この瞬間ひとつひとつが人生という物語であると体感した日だった。
曖昧で答えようのない物語
撮影の最終日、ディレクターさんが仰った言葉もまたわたしの中で深く印象に残っている。
「聞けば聞くほどわからなくなります。これが摂食障害の話なのか、竹口さん自身の話なのか、はたまた時代や文明の話なのか。」
うれしかった。
それほどにわたしの人生と向き合った上で番組を創ろうとしている言葉にたまらなく心が震えた。そしてその時の、ディレクターさんが真剣に考える表情が輝いて見えた。
人生は死ぬまで物語だ。そこに明確な答えや線引きはなく、人生を語る上での「人生」はすでにわたしの中で編集済みの作品なのかもしれない。
そういった意味で、作品になる前のわたしの人生まで掘って、対話して、向き合ってくれる姿勢がとてもうれしかった。
人生も、摂食障害も、その説明のつかなさこそが問うていく意義なのだと思う。
「居場所とつながりは同義です」
だからこそわたしは、これからもわたしと誰かの人生と向き合っていきたい。その過程が趣深くて愛おしいと思うのだ。
説明はつかないけど、確かにそこにあたたかさがあるからその場所に触れ続けたいのだ。これまで、できるだけ「分かりやすくて求められやすいもの」として生きてきたからこそ、分かりづらいという奥深さの中で他者と繋がっていたい。
対談の中で、柳田さんは「居場所とつながりは同義です」と仰っていた。
そして、「インターネットは便利だけど、体温が伝わらない。目で訴えるものはインターネットの言葉を超える」とも言葉にされていた。
まさに今、コロナを含む現代社会おいて、わたしたちが失っているのは体温なのかもしれない。分かりやすい答えで自他を納得させた気になって、説明のつかない本質を見なくなる不便さが悲鳴をあげている。
『アディクションの対義語はコネクション』という言葉があるように、体温のあるつながりは渇いた欲望に潤いを与えるのだと思う。そんな渇きを包めるような言葉を紡ぎ、居場所をつくっていこう。(本を書くことと場所作りが今の夢。)
そういった一見面倒で愛おしい本質に、わたしはこれからも向き合い続けたい。
最後に
約半年間に渡り、真摯に向き合い対話を重ね、支えてくださったNHKスタッフの皆さん、本当にお世話になりました。このような貴重な経験の中で沢山の気付きをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
他者に人生を開示するという経験を通して、わたし自身の人生を見直し、また対話の中で他者の人生に触れる宝物のような時間を過ごしました。
わたしの体調不良により様々ご配慮をいただきましたが、本気で向き合い合った過程を大切に、わたしのこれからの人生を創りたいです。
また人生という物語の中で、巡り会えることを願っています。
本当にありがとうございました。
竹口和香