ことばを吐く

わたしが歩いた道と、見ている世界

甘えとSOSの境界線が分からないから死にたい

 

どこからつらいって言っていいですか?  

 

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声に出すために心を数値化したい

 

最近友人と話していたのが、「つらさや頑張りって数値化できるとラクなのにね」という話。

 

自分は今どの程度のつらさを感じているの?自分は今どの程度がんばれているの?1番なの?まだ頑張れるの?

 

目に見えるものじゃないから難しい。

 

ほんとは自分の感情なんて自分でわかっているだけで充分なのに。自分でわかってあげて自分でお世話できたらいいのに。

 

自分の感情や自分自身にすら自信がなくなって、だれかに認めてほしくなるのだ

 

数値化できないから走り続けるわたしたち

甘えとSOSの境界線なんて特別むずかしい。

自分の手にかかればどんなSOSも簡単に甘えに変換されてしまう。

 

だから、「まだ頑張れる!!」と踏ん張るし「足りない足りない・・やらなきゃ」なんて焦りが募ってしまうんだ。

 

わたしから見たあの人はわたし以上に頑張れている。わたしがこんなとこで悲鳴あげてたら甘えじゃないの?だから頑張って追いつかなきゃいけない。

 

がんばりたい。もっともっと走りたい!!

そうして気づけば、頑張ることを頑張るようになるのだ。

 

頑張っている自分でなんとか自分を保つようになって、それでも増え続ける「できないこと」にどんどん自分が疲弊していく。もう疲弊していることさえわからなくなるのだ。

 

なんで頑張ってるのにこんなに出来ないの?あ、頑張りが足りないのか。わたしが頑張れてないんだ。そうだよね。甘えてらんないよね。よし、、、頑張ろう。

 

がんばれ。がんばれ。まだ大丈夫。わたしは頑張れる。どこに向かっているのかも、何が足りないのかも、もう、もはや、何を目指しているのかもわからない。

 

どこまでが健全な努力で、どこからが不健全な努力なのか。このとき、心や頑張りが数値化されないから余計に自分のことが分からない。

 

わたしはだれなのか、何になりたいのか、だれに認められたいのか、もう分からない。

 

私たちが心を数値化したい理由

ついこないだ、「この程度のことで悲鳴あげるのは、わたしの甘えなんだろうなぁ」とつぶやくと、こう言葉をもらした人がいた。

 

「でもあんたの辛さはあんたしか分からないよ」

 

わたしにしかわからない・・?

 

でもそんなこと言ったって!と思う一方で、何かのものさしに囚われている自分に気づくのだ。

 

わたしのつらさはわたししか分からないし、わたしの頑張りもわたしにしかわからない。そこに誰の許可も必要ない。そして、誰かの辛さや頑張りをわたしが丸々理解することもできないのか。

 

 

数値化するって結局何かの指標を元に数を出すわけだよなぁ。

そもそも人によって状況も何もかも異なるから指標なんて作れないのだけど、そんなことわかってるけど、むずかしいんだ。

 

 

他人と比べてつらいと言っていい許可が、他人と比べて頑張っていると言っていい許可が、どうにか欲しくて、探して、追い求めて、息ができなくなっていた。

 

 「つらい」に許可はいらないし、「頑張ってる」にレベルもないのにな。

 

誰かに許可をもらって疑いながらすがって自分が崩れる前に、自分のものさしで甘えとSOSの境界線を引けるようになりたい。

 

 

ううん、こんなこと考えてる時点できっとSOS出したいんだよねって、自分に手を差し伸べてあげたい。そして手を繋いで誰かのもとに一緒に行きたいんだ。

 

竹口和香